投資偉人伝「ウォーレン・バフェット」人生編

こんにちは。ニクです。

ニクが敬愛する投資の世界に君臨する偉人たちを掘り下げてみようと思います。
今回は、投資の神様「ウォーレン・バフェット」人生編です。

画像を無断使用できないため、本の表紙で申し訳ないですが、上のお方がウォーレン・バフェット氏です(^^)/

アメリカの投資家で投資をかじったことがある人なら必ず目にする名前ですね。
今や神様と崇められる存在のバフェット氏ですが、どんな人生を送ってきたのでしょうか。

ウォーレン・バフェットのプロフィール

名前:ウォーレン・エドワード・バフェット(Warren Edward Buffett)
国籍:アメリカ合衆国
誕生日:1930年8月30日
職業:投資家、経営者
資産:840億ドル
愛称:オマハの賢人
役職:バークシャー・ハサウェイの会長兼CEO
恩師:ベンジャミン・グレアム

変遷

0歳:証券会社を営む父の元に生まれる
6歳:コーラ転売で小遣い稼ぎ
11歳:初めての株投資
13歳:初めての所得税申告
14歳:貯金を農地に投資
17歳:ピンボール事業開始
22歳:結婚
24歳:証券アナリストになる
26歳:バフェット・アソシエイツ株式会社設立
27歳:31,500ドルで家購入(今も住んでいる)
31歳:パートナーシップの資産が100万ドル突破
33歳:バークシャー・ハサウェイの筆頭株主になる

どうも6歳くらいから投資らしきことを始めています。やっぱり生まれた時から天才なのでしょうか。父が証券会社を営むという環境なのでしょうか。もはや常人には理解できないスピードで人生が進みます(笑)

ウォーレン・バフェットの幼少期

1929~1933年に今も語り継がれる世界恐慌が起きます。銀行の倒産が相次ぎ、その打開を目指す軍国主義を台頭させ、第二次世界大戦がもたらせられることになります。

大恐慌の真っ只中、1930年にネブラスカ州オマハで生まれました。1931年、大恐慌のあおりを受け、バフェットがわずか1歳の時に父が勤めていた銀行が潰れてしまいます。

この苦い経験からでしょうか?バフェットは6歳になる頃にはバフェットの祖父が営む雑貨店でコカ・コーラ6本パックを25セントで購入し、1本5セントでばら売りしていました。

有力馬の情報を掲載した冊子を発行して競馬の予想屋をしたり、色んな味のガムを買い、違う味のガムを組み合わせてセット売りしたり…いい意味で金の亡者です(^^;)

バフェットがこれだけお金に執着したのは大恐慌真っ只中に生まれたということが大きく影響しているように思います。父が勤めていた銀行が倒産し、貧しい家庭で暮らす中、父からある種の英才教育を受けたのではないでしょうか。

ウォーレン・バフェットの学生時代

11歳ではじめて株式を購入します。この頃には父が証券会社を営んでいるので、その影響を受けたのでしょう。

姉と一緒に、シティ・サービスという株を1株38ドルで3株購入します。
その後、27ドルの下落を経て40ドルに回復したころに売却。しかし、数年後シティ・サービスの株価は200ドルまで上昇します。保有し続けたら儲かったのに…と悔しい思いをしたことが、今のバフェット氏の投資スタイルに影響したはずです。

12歳の頃、バフェットの父ハワードが共和党の下院議員に当選したため、ワシントンに引っ越しますが、酷いホームシックでオマハの祖父宅に戻ります。
オマハに戻ったバフェットは祖父の店で働き、労働・税金について身をもって知ることになります。

13歳の頃にはワシントンの家族の元に戻り、新聞配達。これを続け、14歳の頃には当時のサラリーマン並には稼いでたようです。
そして、新聞配達で貯めたお金を農地に投資します。意外です。株を買うのかと思いきや、まさかの農地です(笑)

17歳でピンボール事業を開始します。25ドルでピンボールマシンを購入。修理をして、理髪店にレンタルし、1プレイ5セントのゲーム代を徴収します。単に修理をして売るのではなく、恒久的に収入を得ようとするのが17歳とは思えない…(^^;)
最終的には年間60,000ドルもの利益を出すビジネスに成長します。

ハイスクールを卒業し、ペンシルバニア大学に進学。飛び級ですね。
19歳の頃、ネブラスカ大学に転入。この大学はオマハにあります。今に通じるオマハ愛がところどころに出てくるのがバフェットです。

20歳でゴルフコースのロストボールを集めて再販する事業を開始。ハーバード大学に進みたかったようですが、年齢が満たないという理由から断られます。同時に入学志願していたコロンビア大学には受け入れられ、進学します。

ここでバフェットは運命の出会いをするのですね。
そうです。師と仰ぐベンジャミン・グレアムとの出会いです。

ウォーレン・バフェットの現在まで

24歳のころ、グレアムからの誘いでグレアム・ニューマン証券会社のアナリスト(パートナーシップ)になります。30歳になるころにはパートナーシップの資産が100万ドルを突破します。

26歳のころ、家族や友人から105,000ドルのお金を集め、バフェット・アソシエイツ株式会社を設立し、パートナーシップの会社を5つまで増やしていきます。

29歳のころ、バークシャー・ハサウェイの副会長となるチャーリー・マンガーと出会います。こちらも運命的な出会いですね。

この後、友人たちからの出資を元に投資を進め、どんどん資産を増やしていきます。
33歳のころ、繊維業「バークシャー」の筆頭株主となります。34歳にはアメリカンエキスプレスの株価暴落時に買い集め、35歳にはウォルトディズニー株を買い集める…
今に繋がる、買い集めのスタートですね(^^)/

ここまでバフェット氏の人生を振り返ると、常人には考えられない年齢からお金に関心を持っています。

スポットライト

変わった夫婦生活

バフェットは22歳の時に、スーザン・スージー・トンプソンと結婚し、スーザン、ハワード、ピーターという3人の子供に恵まれました。

スーザンが2004年に亡くなるまで夫婦関係は続きますが、子育て完了の45歳の時にスーザンは別居婚を選択し、サンフランシスコに住みかを移します。別居するも二人の仲は良好で旅行に行ったりしていたようです。

スーザンはバフェットが一人では困るだろうとアストリッド・メンクスという女性を紹介します。アストリッドを気に入ったバフェットは彼女と同居。
クリスマスカードは3人連名だったそう(^^;)

別の女性を紹介する嫁の気持ちも嫁から紹介された女と同居する旦那の気持ちも全く理解できません(笑)

スーザンが2004年に亡くなり、2006年(バフェット76歳)にアストリッド・メンクス(60)と結婚。

バフェットはプライベートについて多く語るタイプではありませんが、「これまでに行った数々の投資の中で最大の成功は何か?」という質問に対し、「2人の妻に贈った指輪」と応えています。

複雑で常人には理解できない二人の女性との結婚生活ですが、バフェットさん程の資産があれば金目当ての美女が近寄ってくるのではないでしょうか。
そんな女性たちは相手にせず、二人の女性を生涯愛し続けるバフェットさんが誠実にも思えてきました。女性も長期投資派のようです(笑)

ランチオークション

eBayが開催しているチャリティオークションで「ウォーレン・バフェットとランチできる権利」が毎年競売にかけられています。

このチャリティイベントは2000年から開始され、今も継続中。
2001年は1万8000ドル、2002年はエドワード・ジョーンズが2万5000ドルで落札。この当時はITバブルでウォーレン・バフェットの投資法は古いという風潮の時代でした。

昔の手法という感じで本に紹介されていたことを思い出します。
その後、ITバブルがはじけ、バフェットフィーバー(笑)

このランチオークションの価格もどんどん過熱化し、2015年には落札額は234万ドル。
もうバフェットさんも90歳間近、ご存命の間に会いたいと願う熱狂的なファンがどんどん価格を釣り上げているようです。

いつも思うのが日本人が落札した場合、バフェットさんはなんて言うのだろうということ。日本の未来を聞いてみたいですね。


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